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「乙」のために

Posted April. 15, 2019 08:11,   

Updated April. 15, 2019 08:11

한국어

「今学校に通う子供たちのほとんどは塾に通う。子供たちが二つの学校に通っていることは、そのうちの一つは必要ないという意味である。このような状況が放置されているのは、教育部の無能から来ている。そのような官庁は要らないじゃないか」(民間研究所の関係者)

「銀行の店舗数と人数までを指示する『店舗行政』は、金融会社を操る最大のツールだ。その結果、中小金融会社は、金融当局なしでは生きていけない状況になった。そうすれば、当然、金融当局と金融会社の間でなんらかの取引が行われる。優良銀行は(参入規制の枠組みの中で)快適な条件で営業できるので、当局の意を受け入れる」(官僚出身の金融会社の役員)

「公園一つを作ったり、再開発事業をするためにも、許認可を得るためには何度も中央政府に直接訪ねいかなければならない。補助金申請書類を作成することだけで、従業員全体の仕事の20%程度を奪われる。その上、中央政府から委任された事務を合わせれば、中央政府と関連した仕事が全体の7割にもなる。『3割の自治』という言葉の根拠がまさにこれだ」(自治体長出身の政治家)

どうだろうか。2019年の韓国を描写したと思った読者が少なくないだろう。上記の例は、25年前に韓国国内で翻訳・紹介された日本の「官僚亡国論」から抜粋したものである。文部省を教育部に、大蔵省を金融当局に変えただけだ。原著は1993年に出版された。日本はその前年の1992年、人口5000万人以上の国の中では世界で初めて、1人当たりの所得が3万ドルを突破した。しかし、まさにその年に不動産価格が暴落し、企業の不良化で失われた20年のトンネルに進入した。これは当時の記録である。

本が出てくる頃、「ジャパンバッシング(日本たたき)」は、世界的流行と言えるほどだった。韓国メディアも、これ以上日本から学ぶことなどないと笑った。日本経済が沈んだのは、果たして官僚だけの責任だろうか。それでも当時の資料を見てみると、プラザ合意による急激な円高、人口減少や高齢化などの他の要因よりも、「規制地獄」を作った日本官僚社会をひねる文が多い。

ハーバード大学のマイケル・ポーター教授は、「日本経済危機レポート」の中で、日本が失敗した最初の理由として、幅広い規制など日本流政府モデルの限界を指摘した。見るに見かねた日本厚生省所属のとある医師は米国に渡り、「米国が圧力をかけて、日本の官僚制度を変えてほしい」と訴えるまでした。(東亜日報1995年2月12日付)

官僚と規制はひとまとまりである。公務員が変わらなくては、規制は変わらない。韓国も大統領までが出て、規制廃止を主張したが、規制が改善されないのは、それを握っている公務員が変わらないからだろう。この本のタイトルが「規制亡国論」ではなく「官僚亡国論」であることも、このような背景からだろう。現政府は最近になってようやく、規制サンドボックスなどを導入しているが、まだ規制の解消は程遠い。イ・ジェウン・ソカ-代表が「いつの時代の(経済)副首相なのか分からない」と口にしたのは、現場の体感規制がどのレベルなのかを物語っている。

「すべての産業は、いくつかの省庁の課に登録されて保護・育成・規制を受け、生まれてから死ぬまで役所から言われるようにせざるを得ない構造となっている。新しい産業が生まれれば、この産業をどの省庁が持って行って支配するかをめぐって、省庁間死闘が繰り広げられる。主務課になって許認可権を手に入れたら、必ず一つ二つの関連団体が作られ、その団体に天下りを送らせるポストができるからだ」

著者が指摘した当時の日本の食物連鎖構造だ。韓国公務員社会はこの程度ではないと自信をもって否定できたらと思う。


コ・ギジョン記者 koh@donga.com