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リーダーの真の勇気

Posted April. 09, 2019 08:49,   

Updated April. 09, 2019 08:49

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戦国時代が最後(収束)に向かっていた頃。秦の名将、白起は、紀元前262年、長平で趙の軍隊に大勝を収めたが、降参した捕虜40万人を虐殺した。誇張された数だが衝撃的な大量虐殺であったのは明らかだ。白起は後に謀略によって死ぬことになった。「私が何の罪を犯してこのような屈辱を受けるのか」と悔しがった白起は、ふと趙の捕虜殺害事件を思い出し、「天があの罪を罰するのだな」とつぶやいたという。

漢の将軍、李広は名将で名声が馳せたが、昇進には不運だった。李広は占い師を訪れた。占い師は後悔することをしたことがないかと尋ねた。李広は過去、隴西の太守だった時、降参したチャン族800人を殺害したことがあったと告白した。李広は、チャン族の反乱を鎮圧するのに成功したものの、出世するには反乱の再発を防がなければならなかった。目的が先走り、降参すれば助けるという約束を破った。

白起と李広が虐殺を行った時はそれなりの理由があった。春秋時代は国に従属させることが戦争の目的だったが、戦国時代は征服が目的だった。このため、相手の戦闘力を枯渇させることが戦略的手段になった。そのため、降参し兵士を虐殺する事件が起こった。彼らは大義のためには仕方がないと自分を説得しただろう。同時に、彼らが不幸に向き合った時に過去を思い出したことを見ると、心の奥深くでは一抹の罪悪感を覚えて生きたようだ。

2つの故事が与える教訓は、目的が手段を正当化することはできないということだ。しかしこの故事の本当の教訓は、人間は実際に大業、大きな名分、大きな利益と向き合えば、あまりにも簡単に自分の行動を正当化するということだ。戦争で虐殺が起こるように、聖人君子であるかのように道徳的で原則主義者のように振る舞った人が、実際に権力を握ればいつそうだったのかというように「ネロナムブル(自分がすればロマンス、他人がすれば不倫)」現象が起こる。真のリーダーは、道徳と原則で無責任に自分を飾る人ではなく、冷静な現実を直視し、誠実に正直に方法の限界を認め、最善の道、可能なら良心と道徳の最善を死守しようとする勇気を発揮する人でなければならない。