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月城堀から1600年前に作られた最古の模型船と木製盾出土

月城堀から1600年前に作られた最古の模型船と木製盾出土

Posted April. 03, 2019 08:42,   

Updated April. 03, 2019 08:42

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小さな船を池に浮かべれば、すぐにでも航海するように精巧だ。長さは約40センチに過ぎないが、デッキと船首、船尾などがはっきり表現されていた。形は、シンプルな丸木舟から複雑な構造船に進む中間段階である準構造船。慶尚北道慶州市(キョンサンブクド・キョンジュシ)月城(ウォルソン)堀の現場で、2日公開された4~5世紀の新羅の木製船のミニチュア(模型)のことだ。よく見れば、所々に火に焼けた跡が見つかった。国立慶州文化財研究所のイ・ジョンフン所長は、「放射性炭素年代測定の結果、4世紀半ばから5世紀初頭と確認され、韓国国内で発見された最古の船の模型だ。灯りを上げた後、水に浮かべたような姿で、新羅王室の儀礼用遺物である可能性が高い」と説明した。

国立慶州文化財研究所は、約2年間行った慶尚北道慶州市月城(史跡第16号)の発掘調査の成果を同日、現場で公開した。1600年以上前に作られた船模型と同時代に製作された木製盾2点、新羅の地方官である幢主という言葉が登場する木簡1点など、宝物級遺物が大量に出土した。

●同心円模様入りの新羅の盾

船の模型と共に目立つのは、比較的完全な形で残った盾2点だ。一点は、持ち手がついているが、このような形の古代の盾が発見されたのは初めてだ。持ち手付の盾は、縦横73x14.4センチ、持ち手のないものは95.9×26.3センチで、大人の腰までくるサイズだ。両方の盾共に表面には鋭いツールで同心円と帯のような幾何学的模様を刻んでおり、赤と黒に塗った跡が出た。一定の間隔で穴もあいていた。これは盾の防御力を強化するために、糸で巻くための痕跡だと、研究所側は説明した。

新羅社会の姿を類推できる木簡も発見された。3つの面に文字を書き入れたこの木簡では、新羅の地方官である「幢主」が登場する。6世紀の碑石である丹陽(タンヤン)新羅赤城碑(国宝第198号)に次ぎ、2度目に発見された事例だ。内容は、幢主が穀物に関する出来事を報告するもので、「稲3(參)石、粟1(壹)石、豆8(捌)石」など、穀物と数量を書き入れた。イ所長は、「新羅は統一以前から、数字は、元の文字より画数の多い数字を使用したことを確認した」と述べた。

●ケヤキの森を歩いた新羅の人たちの風流

月城周辺を取り巻く堀は、敵の侵入を防ぐために城の周囲を取り囲んで掘った小川だ。月城は新羅の滅亡後、歴史の中に消えたが、堀の下は、有機物質が保存されるに適した泥のように残っていた。おかげで、今回の調査結果、米、大豆、スモモ、マンシュウグルミの実、ヤマブドウ、サクランボ、桃、オニバスなど63種の新羅時代の種子と果実の資料を確保した。

文化財庁は、珪藻(水中に生息する植物プランクトン)を分析して、堀の流れ、深さ、水質などの情報を分析している。このような結果を基に、新羅の人たちはオニバスがいっぱい咲いた堀を見ながら歩き、ケヤキの森で休憩を取ったはずの5世紀頃の新羅の宮殿の風景を復元する計画だ。

イノシシの骨26点が見つかったことも興味深い。歯の分析結果、すべて6ヶ月前後の若い豚であることが確認された。食用や儀礼用に「若豚」を好んで食べた新羅の人たちの風習を垣間見ることができる。

今回の調査の成果は、5日から6月2日まで、ソウル漢城(ハンソン)百済博物館で開かれる特別展「漢城で出会う新羅月城」で公開される。


柳原模 onemore@donga.com