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ヘンリー・ジョージの呪い

Posted April. 01, 2019 08:48,   

Updated April. 02, 2019 09:12

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現政権の不動産政策は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府にルーツがある。初代大統領政策室長だった李廷雨(イ・ジョンウ)慶北(キョンブク)大学教授は、19世紀の米国人思想家、ヘンリー・ジョージを慕うジョージストだった。ヘンリー・ジョージは、貧困と不平等の原因を土地の独占的所有に見て、土地私有を否定した。当時、不動産政策が需要供給論理よりも理念的根幹を持っていたことをうかがわせる。

時代遅れの社会主義理論を成熟した市場経済に投射したため、あちこちで破裂音が出るほかなかった。当時の政権勢力は、「江南(カンナム)=投機」というフレームを組み、ここに保守勢力とメディアをはめ込んだ。そして、不動産を道徳律の核心指標に使った。

文在寅(ムン・ジェイン)政府では昨年、大統領が憲法改正案を国会に発議した時、土地公共概念を明示してヘンリー・ジョージを復活させた。江南フレームが多住宅者のフレームに拡大したのも、ヘンリー・ジョージの土地共有の主張と同じ脈絡だ。「自分が住む家でなければ売れ」と期限まで提示した政府の要求は、不動産に対する基準が厳格に変わりつつあることをうかがわせる。知らず知らずにヘンリー・ジョージは社会のあちこちに深く入り込んでいる。

ジョージスト的アプローチが、住宅価格の安定をもたらしたかどうかは確実でない。しかし、少なくとも指導層は陰湿で貪欲な投資と決別しなければならないという社会規範を立てることに成功した。問題は、この規範があまりにも政治化しているということだ。

盧武鉉政府の時、李憲宰(イ・ホンジェ)経済副首相、姜東錫(カン・ドンソク)建設交通部長官、崔永道(チェ・ヨンド)国家人権委員会委員長らが数十年前の投資履歴のために辞任した。現政権の多住宅不可論によると、家が2軒あった文在寅大統領も、不動産政策主務長官である金賢美(キム・ヒョンミ)国土交通部長官も潜在的投機屋ないし市場かく乱勢力だ。現政府の第1期内閣で長官10人が「多住宅長官」という、業務能力とは全く関係のない不可解なグループと呼ばれたほどだ。金相坤(キム・サンゴン)元社会副首相のように江南多住宅者なら分からないわけはないが、田舎に一戸建て住宅をもう一軒を所有する都鍾煥(ト・ジョンファン)文化体育観光部長官がどのような投機屋の範疇に入るのだろうか。

先週、金宜謙(キム・ウィギョム)大統領府報道官が在職中の不動産投資で辞任し、その余波で長官候補2人が辞退した状況で、とんでもないと思うかもしれないが、少し冷静に考えてみる時だ。不動産問題を理念と道徳、政治の手段に転用した結果、政策は効果がでず、政争は激しくなった。与野党は、自分は守ることもできないのに、相手には厳しい基準を突きつけ、この渦中に金宜謙氏のように裏で大衆の目線に合わない投資をし、辞任の事態まで起きている。不動産政策をまるで政治運動をするようにしなかったら、このような結末にはならなかっただろう。これを「ネロナムブル(私がすればロマンス、他人がすれば不倫)」の典型だと片付けるには、政争の無限反復で犠牲になる社会的損失があまりにも大きい。

金氏は、辞任メールで示したように、社会は彼を不道徳だと指摘したが、本人は自身の行為を謝罪しなかった。不動産が政争の具になったため政治的罠にかかったと考える可能性が高い。実際、不動産で辞任した人の多くが私的な席でそう話す。

不動産から道徳と政治を切り離したい。過去に戻ろうというのではなく、家を2軒所有していれば投機屋という奇怪な論理拘束から脱する時になった。そうしてこそ市場も息をすることができ、政争の大枠でも少し自由になれる。さもなければ100年も前のヘンリー・ジョージの思想が呪いとして残ることになる。


コ・ギジョン記者 koh@donga.com