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「独立宣言書遠征隊」3チームを派遣…海印寺、嶺南万歳デモの中心に立つ

「独立宣言書遠征隊」3チームを派遣…海印寺、嶺南万歳デモの中心に立つ

Posted February. 23, 2019 07:51,   

Updated February. 23, 2019 07:51

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全国を襲った3・1万歳運動の激しい嵐は、陜川海印寺(ハブチョン・へインサ)を避けて通らなかった。

日本帝国は3・1運動が起きる前から、全国3大寺院の一つである海印寺を注視した。異例にも警察駐在所を海印寺に設置し、警備電話も引いたほどだ。大邱(テグ)と海印寺を結ぶ道路も拡張した。八万大蔵経を保護するという名分を打ち出したが、海印寺境内にある普通学校と地方学林の学生の動きを監視する目的が大きかったと見られる。当時、海印寺の学生と僧侶300人は、親日性向の住職イ・フェグァンに反感を抱いて、そのチャンスが来たら、いつでも救国の道の先頭に立つことを約束していた。(イ・ヨンラク、「3.1運動実録」)

3・1運動が起きると、ソウルで留学中の学生などを通じて海印寺に独立宣言書が伝えられた。学生の姜宰豪(カン・ジェホ)とソン・ボクマンは、200里離れた大邱まで歩いて、楮の皮で作られた紙3万枚を買ってきて、密室で独立宣言書1万枚を謄写した。

その間、学生の代表30人は、八万大蔵経閣の裏山で秘密会合を開き、独立運動計画について議論した。地域別に分けて活動することにし、3人ずつを1つの隊でまとめて3つの隊を組織した。(「独立運動史」)誰がどの地域を担当して発ったかを、総責任者以外は知ることができないように極秘に付した。3つの隊が独立宣言書を持って、△慶州梁山釜山金海(キョンジュ・ヤンサン・プサン・キムへ)、△陜川宜寧晋州河東(ハブチョン・ウィリョン・チンジュ、ハドン)、△居昌安義咸陽山清(コチョン・アンウィ・ハムヤン・サンチョン)などへと発った。他の学生たちもそれぞれゆかりのある場所を訪ねて万歳デモに積極的に加わった。この過程で、多数の学生がデモの過程で逮捕され、服役した。姜宰豪、ソン・ボクマンなど10人余りは後日満州に渡り、新興(シンフン)武官学校で訓練を受けて独立軍になった。一部は仏教の秘密結社「卍党(マンダン)」の党員として活動した。

残りの学生は、寺院の外に出て万歳を叫んだ。海印寺入口の一柱門(弘化門)では、3月31日に万歳デモが行われた。学生200人余りは午前11時、弘化門の外で1回目に独立万歳を叫び、同日午後11時、群衆が海印寺の前の道路で万歳デモを行うと、再び合流してデモを主導した。

東国(トングク)大学のキム・グァンシク特任教授は、「3つのチームを派遣することで、慶尚道(キョンサンド)一帯の万歳デモの中心に立つという大胆さに見せたことは、他の寺院では現れない特徴だ」とし、「八万大蔵経に象徴される護国仏教の精神への誇りが働いただろう」と分析した。同大学のチェ・ファジョン博士は、27日に開かれる仏教界の3・1運動学術セミナーで、「海印寺の3・1運動」をテーマに論文を発表する予定だ。


成東基 esprit@donga.com