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習慣性記憶喪失症

Posted November. 13, 2018 08:04,   

Updated November. 13, 2018 08:04

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11日、フランスのパリで第1次世界大戦100周年記念行事が大々的に開催された。2014年には、開戦100周年記念行事が開かれた。4年ぶりに再び第1次大戦関連の記念行事でにぎわっている。しかし、大げさだという感じはしない。死傷者だけでも1000万人を超えていた悲劇の歴史を振り返らなければ何を振り返るというのだろうか?

20世紀ほど人類にとって、胸いっぱいの感動と希望で始まった時期はなかった。科学と理性、民主主義の発達は、人類にかつてない繁栄と平和をもたらすだろうと信じていた。しかし、10年余り後、世界を号令していた先進国の市民は、泥になった塹壕の中で寝転がっている自分を見つけることになった。笛の音と一緒に攻撃が開始されると、機関銃の十字火網が兵士たちをさらった。中隊が全滅するまでに5分で十分だった。

しかし、何より最も恐ろしい記憶は、人類がこのような悲劇からも全く教訓を得られなかったという事実である。第1次世界大戦で、ロシアでは革命が発生し、各国では社会主義勢力が急成長したことで、冷戦時代の基礎ができた。生き残った世代は、復讐を叫びながら次の戦争を準備し、戦争に反対していた人たちも、その反対が新たな戦争の土壌になっている事実を知らなかった。悲劇は、国家と社会の嫌悪と利己主義をさらに増幅させた。

本当に皮肉な事実は、戦争を防止するために努力していた外交的・政策的決定が、一様に世界大戦の直接的原因になったという点である。第1次世界大戦が残した最高の教訓は、歴史の教訓を忘れれば、悲劇は繰り返されるということである。終戦記念式を開き、列強の首脳たちがすべて参加したのは、まさにこのような理由からだろう。

しかし、もっと重要な教訓が一つある。人間は歴史の教訓を必ず忘れる。今、欧州で広がる混乱と悩み、韓国社会で繰り広げられる対立と怒りがその証拠である。100年は1000万人の死が与える教訓も忘れるには十分な時間である。終戦100周年の行事が、その忘却を防止するための最後のあがきではないことを切に願いたい。

歴史学者