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漢江歩道橋の建設を推進

Posted October. 22, 2018 08:55,   

Updated October. 22, 2018 08:55

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韓国戦争初期の混乱な状況を示す象徴的なものだった「漢江(ハンガン)の歩道橋」。戦争勃発から3日後の1950年6月28日未明に爆破された漢江の歩道橋を、市民のための文化施設として生まれ変わらせる案をソウル市が進めている。

21日、ソウル市によると、漢江歩道橋の建設は、ソウル市が昨年に本格的に推進を開始したノドゥル島特空間造成事業と連携して検討が行われている。ノドゥル島特化空間は、公演、展示、音楽、文化、商業施設などがあわされた複合文化空間であり、来年9月頃に完了する予定だ。ノドゥル島特化空間を、市民が気軽に通いながら楽しめるようにすることを考慮した時、ノドゥル島へのアクセスを高めなければならないというのがソウル市の判断だ。この構想の一つとして、歩行専用橋が検討されている。現在ノドゥル島には、韓国戦争当時に崩れた漢江人道橋の代わりに漢江大橋が開通している。今は往復8車線に、両端に歩道が1つずつの車両中心橋である。

ソウル市はこのために6月、「ノドゥル島一帯の再生と活性化のためのアクセシビリティ改善の基本構想」に関する外部委託入札を公告した。9月にはチン・ヒソン行政2副市長が出席した内部報告会で、このような構想を議論した。ソウル市の関係者は、「どの地点からどの地点までを結ぶか、施設はどのようなものが入るかなどを構想して検討する段階だ」と語った。

外部委託には、ソウル市が進めてきた市民アイデア公募展の当選作に基づいて、この当選作の実現可能性などを検討する内容が盛り込まれている。昨年8月と9月に、漢江歩道橋建設100周年を迎えて行った公募展には、計40作品が出品された。審査の結果、最優秀に選ばれた作品には、漢江大橋北端近くのノドゥル島の北側を繋ぐアイデアが盛り込まれた。コンクリート橋を切断されたかのように表現後、その空間を強化ガラスで埋めて、韓国戦争当時に切れた橋を再現する「メモリアルブリッジ」の構想もある。歩道橋に屋外プールや船着場などを入れよう、というアイデアもあった。

漢江歩道橋の歴史は101年前に遡る。昨年は歩道橋が建設されてからちょうど100年目になる年だった。特化事業が進められているノドゥル島は、当時は龍山(ヨンサン)側に当たる広い砂浜だった。漢江歩道橋の建設過程で擁壁が立てられ、「中地島」という名がついた。1968年に漢江開発が始まる前は、海水浴場として愛された。開発の過程で白い砂が他の所に使われ、今のように孤立した島になった。1995年、日本流の名前だった中地島の代わりに、ノドゥル島という名前がついた。当初はオペラハウスなどを建設する予定だったが、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が就任後、白紙化となった。

歩道橋建設事業が具体化するまでは、残された課題が多い。安全や交通分野などの妥当性検討が必要である。何よりも基本的な構想が完成してこそ、具体的な推進方向を示すことができる。ソウル市が発表したアクセシビリティ改善事業の外部委託も、入札提案書を提出した企業が一社しかなかったと伝えられた。

これとは別に、ノドゥル島には漢江歩道橋爆破時に犠牲となった800人を称える慰霊碑を建てる事業が推進されている。ソウル市は7月頃、1億ウォンをかけて来年11月の除幕を目標に、ノドゥル島特化空間内に慰霊碑を建てることにした。


權基範 kaki@donga.com