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秋夕の新礼記

Posted September. 22, 2018 08:32,   

Updated September. 22, 2018 08:32

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最近30回で終わった東亜(トンア)日報の創刊企画シリーズ「新たに書き下ろす私たちマナー新礼記」に対する読者の反応は熱かった。その中でも「父は生前は酒は好きでなくてコーヒーが好きで、祖先の祭祀のたびに『コーヒーとバナナだけを上げてほしい』と言われたが、他人の目を気にしてそれができなかった。今回の祭祀では一度やってみたい」というコメントが特に目を引いた。

◆祭祀は祖先が亡くなった日を祭る忌日祭祀のみあって、祝日祭祀はなかったが、近代に入って日本植民地時代から祝日祭祀ができた。退渓・李滉(イ・ファン)家のような伝統的な家の中では、忌日祭祀に充実するために、祝日祭祀はやっていないという。祝日祭祀が、忌日祭祀に加えてもう一つの負担になるのなら、やらない方が増しだ。

◆集成村を成して住んでいた農村社会では、忌日になれば、家族がみな集まったが、産業化と都市化が進むにつれて、ばらばらになって暮らす家族は、国家的公休日である祝日に何とか集まることができた。祭祀を単に祖先にお辞儀をするだけだと受け止めずに、子孫が祭祀のために準備した食べ物を分けて食べながら親睦を深める過程だとみれば、最近はより多くの子孫が集まつ祝日祭祀のほうがより意味があると見ることもできる。ただし、祝日に嫁たちが最も嫌いなことは、夫の実家に行って床に座り込んで足がしびれるほど、チヂミを作ることだという。お膳を並べる過程で、不要なストレスをやり取りするぐらいなら、チキンを注文して分けて食べても家族が睦まやかに過ごしたほうが、祝日の祭祀を過ごす本来の精神である。

◆男性たちはテレビを見ながら遊んでいるが、その横で女性だけが食べ物の準備に努める姿は、祝日であれば間違いなく現れる男女差別の前近代性である。祝日に夫の実家と妻の実家に共に立ち寄れればいいだろうが、それができなければ、優先順位は夫の実家であるのが現実である。フェミニストの女性も、夫の弟を坊ちゃんやお嬢さんと呼ぶ言語的慣行から抜け出すのは容易でない。礼ほど、本来の精神を失って形式だけが残りやすいものもない。剥製化されやすい礼をどのように時代精神と調和させていくのか。常に新しく書いていくべき新礼記の課題である。


ソン・ピョンイン論説委員 pisong@donga.com