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リーダーの資格

Posted September. 18, 2018 08:37,   

Updated September. 18, 2018 08:37

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戦略的目標を実現できず、最後の戦いで惨敗してすべての軍隊を失った。このような履歴にもかかわらず、カルタゴのハンニバルは世紀の名将として尊敬される。ハンニバルのため、15年間うんざりするほど苦しんできたローマ人たちは、ハンニバルの死後、彼の名前を恐れながらも尊敬した。ローマ人がハンニバルを尊敬した本当の理由は、それによってローマが目を覚ましたからだ。ローマはハンニバルと戦いながら、軍の戦闘力は装備や数字ではなく、訓練が左右するという事実を悟った。ローマの将軍スキピオは、ハンニバルの戦術を受け入れ、軍隊を強く調教した。戦争が迫っているのに、訓練があまりにも長く厳しいという世論と苦情が殺到してもビクともしなかった。そしてスキピオの軍隊が、アルジェリアのザマでハンニバルを殲滅すると、ローマは歓声を上げた。

以後ローマは職業軍人制に転換し、装備を改良して、高難度の訓練と熟練が必要な戦術と編制を採用した。これがローマの栄光を生み出す土台になった。軍隊がいくら素晴らしくても、リーダーにその能力がなければ、強い軍隊にはなれない。ローマはハンニバルから、偉大な将軍は血統ではなく、資質と鍛錬、自己啓発によって誕生するという教訓を学んだ。将校は兵士と共にいなければならず、小隊長から先に現場で戦闘を経験しながら、戦術とリーダーシップを学ばなければならなかった。血統は必要がないのだろうか?血統より重要なものが環境だ。ただ、環境といっても、良い環境と悪い環境が別にあるのではない。与えられた環境を利用し、与えられていない環境を努力で補う人が偉大なリーダーになれる。

ハンニバルとスキピオ以降、ローマには、マリウスとスラ、シーザーとポンペイウスという名将が次々と現れた。彼らは公平に、半分は名門一族出身であり、残りは平民出身だった。ただし、スラとシーザーは同じ名門でも、没落、破産などの理由で平民と交流した。結局、出身が重要なのではなく、貴族と平民の両方を理解し、統合されたエネルギーを引き出す能力が重要だった。このような事実をローマは学び実践した。このように簡単に口では語るが、その過程は順調ではなく、歴史は陰謀もあり血なまぐさいものだった。韓国社会も順調ではない段階に差し掛かっているような気がする。ハッピーエンドを望むだけだ。

歴史学者