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「独島で漁」…巨文島の住民が残した記録を発見

「独島で漁」…巨文島の住民が残した記録を発見

Posted September. 18, 2018 08:37,   

Updated September. 18, 2018 08:37

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「巨文島(コムンド)の人々は、独島(トクド=日本名竹島)でワカメも採り、可支魚(アシカ)を捕獲して油を作って農家で肝要に使う」

巨文島(全羅南道麗水市三山面)で生涯を暮らしたキム・ビョンスン氏(1915~2010)が残した記録だ。嶺南(ヨンナム)大学独島研究所は今年初め、巨文島の現地を調査した結果、巨文島の住民たちが19世紀から20世紀初頭まで独島で漁猟活動をした記録を確保したと発表した。

湖南(ホナム)の漁民が独島に出漁に出たのは、独島の領有権と関連している。韓国学界では、全羅道(チョンラド)の南海岸地域でトルソムを「トクソム」と呼んでいるが、この地域の漁民たちが独島に出漁したことが、独島の語源になったとみている。この時期に巨文島と草島(チョド)の住民たちが独島に出向いて漁猟活動をしたことは、口述を通じては知られているが、関連記録はなかった。

独島研究所のパク・ジヨン研究教授は、「キム氏の記録では独島で採取したワカメなどを船に載せてきて、国内農家に販売していたことまでは知ることができる」とし、「住民が直接記録した資料が確認されたのは今回が初めてだ」と明らかにした。アシカ油は、主に農家で灯油として使っていたことが知られている。

研究所がキム氏の息子であるテス氏(76)を通して入手したこの記録には、巨文島と近隣の草島などの住民たちの生活史と関連して、鬱陵島(ウルンド)や独島に関するいくつかの貴重な記憶が含まれている。記録狂であるキム氏は、本人が認知している事実と住民から聞いた内容を1960年代から記録してきた。

「巨文島の人たちは1800年代に鬱陵島を往来しながら本島の生産物であるワカメや薬草などを運搬した。…島民たちは原木を船舶用として伐採するときは、斧で半径ぐらいまで切った後、高い端に縄を結んで数人が引っ張ると、丸太の半分が割れる。日本人たちが入ってきて、ノコギリを使って盜伐をしていったという」

キム氏は、巨文島の住民たちが鬱陵島から取り寄せた木材を使って建てた住宅とハムジバク(大きな容器)の写真も残した。パク研究教授は、「巨文島の住民たちが鬱陵島に行ってきたという物証だ」と説明した。

麗水(ヨス)と順天(スンチョン)地域の住民たちが、朝鮮時代に鬱陵島と独島で漁労活動をしたことは、1693年に安龍福(アン・ヨンボク)が日本に拉致された時の陳述にも出ている。安龍福は当時、鬱陵島に渡っていった経緯について語りながら、鬱陵島で3隻の船が操業していたが、その1隻が順天の船だと主張した。粛宗(スクジョン)実録も、安龍福が1696年、日本に渡航した際の一行の中に「順天僧」5名が含まれていたと記録した。

独島研究所は、キム氏が残した資料の原本を写真で撮影して「鬱陵島・独島関連巨文島資料Ⅰ、Ⅱ」(図書出版ソンイン)で最近出版した。20日午後2時に、麗水市梧桐島(オドンド)路にあるマティユホテルで出版記念セミナーを開催する。


趙鍾燁 jjj@donga.com