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工学部生だった鄭鎮奭枢機卿、韓国戦争を体験して司祭になることを決心

工学部生だった鄭鎮奭枢機卿、韓国戦争を体験して司祭になることを決心

Posted July. 21, 2018 08:22,   

Updated July. 21, 2018 08:22

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「神が本を出すことを助けてくださった。読者に神のご加護があることを祈ります。一個人の一生は、我が民族全体の歴史の縮小版です。その一つである私の話をうまくまとめて下さってありがとうございます。」(鄭鎮奭枢機卿)

天主教ソウル大教区長を務めた鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿(87)の人生と信仰をまとめた回顧録『枢機卿 鄭鎮奭』(カトリック出版社)が出版された。本を執筆した許栄ヨプ(ホ・ヨンヨプ)神父(58・天主教ソウル大教区広報委員会事務局長)は20日、ソウル鍾路区(チョンロク)にある執務室を訪れ、枢機卿に本を手渡した。

著者である許神父は、2004年、ソウル大教区文化広報局長時代から鄭枢機卿を至近距離で補佐した「最側近」だ。当時、許神父は同じ宿舎に住み、食事や散歩の時間に聞いた鄭枢機卿のプライベートな話や教会の歴史などをメモしておいた。許神父は、「枢機卿は記憶力がよく、詳細なことまで明確に教えてくれた」とし、「そのような話自体が教区と教会の歴史的記録として価値があると判断した」と出版の背景を明らかにした。

『枢機卿 鄭鎮奭』には、ソウル大学工学部生で、発明家を夢見た鄭枢機卿が、韓国戦争を体験して司祭になることを決心した内容も出てくる。当時、戦争の砲撃で目の前で弟を亡くし、自身もまた、数回死ぬような思いをした。鄭枢機卿は、科学の発達が大量殺害の兵器を量産する現実を目の当たりにし、考えを変えた。そして、戦争孤児の世話をしていた時、黄海道(ファンヘド)のヨンベク聖堂の主任、キム・ヨンシク神父の後を追って神学校に入学した。

鄭枢機卿が1961年、司祭品を受けた後、ソシン学校ラテン語教師、天主教ラジオ放送の進行者など様々な経験したことも書かれている。許神父は、鄭枢機卿がソウル大教区長から退き、現在、元老となるまでを淡々と書き綴った。

許神父は、長く枢機卿と苦楽を共にしたが、今回の執筆は「非常にプレッシャーだった」と打ち明けた。許神父は、「一人の生涯を貫く回顧録を書くということがどれほど重大なことか分かった」とし、「教会の歴史だけでなく、父親世代が経験した激動の近現代史を感じることができた」と感想を述べた。

天主教ソウル大教区長の廉洙政(ヨム・スジョン)枢機卿は、推薦のことばで、「鄭枢機卿とは旧知の間柄だが、この本を通じて多くを知り、さらに敬するようになった」と書いた。


イ・ジウン記者 easy@donga.com