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400日間の旅…藤原新也の最後の放浪

Posted May. 26, 2018 09:02,   

Updated May. 26, 2018 09:02

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「執拗に食べる。愛撫するように食べつくす。笑いながら酒瓶を空にし、食べ物を噛んで、舐めて、胃袋を満たし、腸に流し、再び食べることに挑戦する」

トルコ・アンカラのレストランでは、客のテーブルに皿数を増やしただけで、レストランの持主からリベートを受け取る女性がいる。女性のユニークな生計建ての方法も不思議だが、荒くて吸引力のある描写についての感嘆で息が詰まるほどだ。露骨だが感覚的な、生きていることを悟らせる文だ。

この本は、「インド放浪」、「チベット放浪」を書いた日本の写真家であり、エッセイストである著者の放浪3部作の最後だ。トルコのイスタンブールで始めて、シリア、インド、香港、韓国、日本に至る400日以上の旅路を記録したこの本で、1982年に第23回毎日芸術賞を受賞した。

目を離せない写真は、おおむね無彩色だが、たまには悲しくて強烈なものもある。オリーブに漬けたピーマン、肉をつるした路上の肉屋、売春宿の女たち、内臓油と排泄物が染み出た「イシケンベ チョルバス(羊の腸スープ)」…。ヤギの頭蓋骨を半分に切って、歯と眼球がそのまま残っている「コユンバシュ(ヤギの頭料理)」では、生と死が一杯の料理の中に入り混じっているようで、凄然となる。

ソウル訪問記も興味深い。著者は、「喉の深いところから声を絞った」パンソリの歌い手の歌をラジオで聞き、屋台でスンデとレバーで腹を満たす。「歌の狂気と血の振動が伝わる魂(ソウル)の都市」だなんて、慣れていることもなぜか見慣れない。

人生を超越したような旅行記は、著者の感情や考え、内面の声に集中した一本の小説のようだ。10年以上続いた旅行で、人間に飽きて無関心になった時、人と付き合いながら「また人間が限りなく面白くなった」という所感は、長い間、生について考え、探索した賢者の言葉のようだ。


趙允卿 yunique@donga.com