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ローマの没落

Posted May. 22, 2018 10:46,   

Updated May. 22, 2018 10:46

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ダ・ヴィンチとミケランジェロが活躍していた時代、フィレンツェは人口10万人足らずの都市だった。当時の人口水準を勘案すれば、小さな都市ではなかったが、フランス、ドイツ、スペインの王に対抗できるレベルではなかった。だからメディチ家の成功はなおさら驚くべきものがある。この小さな町の金融家だったメディチ家は、女性ではフランスの王妃カトリーヌを排出し、男性では教皇レオ10世とクレメンス7世を次々と排出した。

当時の教皇は、世俗君主を兼ねたローマの統治者だった。レオ10世は、人は良かったものの、金持ちの貴公子らしく現実感覚は全くなかった。彼の異母弟であるクレメンスは、正反対でたいへんな手腕家だった。

しかし、いざ権力の座につくと、クレメンスの現実感覚は謀略と策略に変わった。それも、マキャベリの言葉のように適切に使われたならいざ知らず、策略それ自体が趣味でもあるかのように、とりとめもなく仕事を行った。大事と小事との区別がつかず、仕事の優先順位がなく、戦略と戦術、作戦を区別できなかった。対策なしに仕事を繰り広げ、そうするうちに危機が迫れば、天性の謀略と策略で抜け出した。その能力だけはあきれるばかりだった。

彼は無謀にもフランスと神聖ローマ帝国を操ろうとしたため、双方から怒りを買った。結局、フランスと神聖ローマ帝国の軍隊が次々とイタリアに侵攻した。最悪の事態は1527年5月に起きた。裏切りと二重契約に激怒したカール5世の軍隊がローマ入りした。クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃げたが、カールの軍隊は、ローマを徹底的に略奪し、破壊した。ローマの悪夢と呼ばれるこの事態は、ローマの長い歴史と文化財、ルネッサンスの遺産を焦土化させた。このような状況でも、クレメンスはまた巧妙に生き残った。しかし、ローマは廃墟となった。

ローマ人たちは、一体何のためにこのようなことを繰り広げたのかと尋ねる。いくつかの目的が挙げられているが、どれ一つとしてこのような危険を冒すまでのことではなかった。彼が証明したのは策略政治の残酷な結末だけだった。しかし、これも歴史の教訓というには、被害があまりにもひどすぎる。

歴史学者


李沅柱 takeoff@donga.com