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壬辰倭乱に宣祖が授けた功臣教書、京都大学で発見 古代民族文化研究所

壬辰倭乱に宣祖が授けた功臣教書、京都大学で発見 古代民族文化研究所

Posted March. 13, 2018 08:14,   

Updated March. 13, 2018 08:14

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壬辰倭乱(慶長の役)の時、宣祖が義州(ウィジュ)に蒙塵するとき,自分の馬の手綱を握った御者に授けた宝物級の功臣敎書が日本で初めて発見された。

高麗(コリョ)大学民族文化研究院・海外韓国学資料センター(センター長=鄭雨峰国文学科教授)は、先月18~24日、日本京都大学附属図書館の書庫を調べて、御者「吳連」に授けた扈聖功臣教書をはじめとする遺物と、印刷版が極めて少ない庚午字(安平大君の文字で鋳造した金属活字)の刊行書籍など、貴重な古文献約500冊を発見したと発表した。

扈聖功臣は、宣祖が自分を義州まで扈從する手柄を立てた86人に、1604年に授けたものだ。功臣教書は、国内に9冊が残っているが、そのうちの6冊が宝物に指定されている。既存の教書は文臣(8冊)と医官(1冊)のものだけなので、理馬(司僕寺で宮中の馬を管理していた雑職)」が受けた功臣教書が発見されたのは「吳連教書」が初めてだ。

今回発見された教書は、「朝廷の内外の臣下と民はそのほとんどが獣が逃げたかのように、鳥が隠れてしまったかのように振る舞ったが、君は下隷(低い身分)として王を後にすることなく、王の御輿と世子の出征に手綱を取る手柄を立てており」と、吳連が低い身分にも関わらず、忠誠を尽くしたと強調した。

吳連は石城君に封ぜられた。「龍蛇扈從錄」には、彼が「扶餘の正兵として御輿に従った」と記録された。高麗大学民族文化研究院のパク・ヨンミン研究教授は、「正兵は正規軍として、吳連は良民出身で軍に行って宣祖を随行したものとみられる」と語った。

当時から、宣祖の功臣冊封は公平性の面で今日も批判を受けている。戦闘で命を捧げて戦った将帥などに授けた「宣武功臣」は18人に過ぎず、それさえも主要将帥と義兵長が除外されたためである。一方、宣祖は「扈聖功臣」を大規模に冊封し、自分を補佐した人たちは御者まで身分の上下を問わず、気にかけた。しかし、当時の史臣が、扈聖功臣について「卑しい僕隷(僕)が20数人もいた」と批判しながら、理馬をはじめとする下層民の冊封に気分を害する見方をしていたのは、身分差別だという評価だ。

「悲運の活字」庚午字で印刷された「歷代兵要」の優位本も確認された。当代の名筆だった安平大君の書体を字本として作られた庚午字は、当時も「本の印刷に一番の活字」と評価されたが、わずか6年(1450~1456年)間使われただけだった。世祖が王位を簒奪した後、安平大君が書いたという理由で溶かして、新しい活字を作ったからだ。庚午字で印刷された書籍は、韓国内外に6種しか残っていない。

最多の人名が記録された19世紀半ばの「萬姓譜(あらゆる名字の族譜から大きな流れを選び出して集めた本)」40冊も同様に発見された。朝鮮後期に作成され、娘と婿までを含んでいる。調査に参加したアン・スンジュン韓国学中央研究院古文書研究室長は、「既存の萬姓譜より3、4倍も膨大な分量だ」とし、「科挙の合格履歴、官職、姻戚関係など、朝鮮の支配勢力の人的ネットワークを把握できる最大の『人物バンク』だ」と語った。

世宗の7番目の息子である平原大君(1427~1445)の蔵書である「謹行之堂」が印刷された「大学衍義」も含まれている。

今回の調査は、韓国学中央研究院の韓国学資料センター事業の一環として行われた。鄭雨峰教授は、「韓国学中央研究院のこの事業は10年間行われたが、延長案が政府予算審議を通ることができず、今年6月を最後に海外調査も暫定中止となる」とし、「韓国学研究の寶庫といえる海外資料調査が長期的な目で持続されることを願う」と語った。


趙鍾燁 jjj@donga.com