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朝鮮版ルネサンスを叫んだ「磻溪」、激変期の社会に大いに示唆

朝鮮版ルネサンスを叫んだ「磻溪」、激変期の社会に大いに示唆

Posted January. 17, 2018 09:45,   

Updated January. 17, 2018 09:48

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「磻溪(ポンゲ)は徹底した社会改革を主張しながらも、逆説的に儒教の伝統を守らなければならないという尚古主義者だった。『ギリシャとローマに戻ろう』という西洋ルネサンスの精神と一脈相通じる朝鮮版ルネサンスを叫んだ人物だった」

9日、ソウル鍾路区(チョンロク)のあるオフィステルにある「益善斎」。昌徳宮(チャンドククン)を見渡せるここは、成均館(ソンギュングァン)大学の林熒澤(イム・ヒョンテク)名誉教授(75)が設けた研究空間で、漢文古典を読んで討論する研究者が集う。林氏は最近、磻溪・柳馨遠(ユ・ヒョンウォン、1622~1673)の詩や散文などの文集を構成した本『磻溪遺稿』を学者のイク・ソンジェ氏らと出版した。

磻溪は、朝鮮実学の始祖と言われるほど朝鮮末期の知識人に大きな影響を与えた。星湖(ソンホ)李瀷(イ・イク、1681~1763)は、磻溪の代表的な著書『磻溪隨録』を神妙な薬草に例えて、「病人がここで死につつあり、薬草はあそこで腐り、ついにこれもあれも皆使えなくなった」と明らかにした。

しかし磻溪は、茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤクヨン、1762~1836)など後代の実学者に比べて有名でない。林氏は、「鳥が左右の翼で飛ぶようにその人の真の姿を見るには学問的な著書だけでなく文集を共に見なければならない」とし、「柳馨遠があまり注目されなかったのには、6冊とされる文集『磻溪先生遺集序』が焼失し、思想がしっかり伝えられなかったことがある」と指摘した。

林氏は3年以上の時間を投じて磻溪の詩と散文を収集して翻訳した。この本には、磻溪の詩182編が収録され、歴史・地理・哲学など様々な方面について書かれた散文も載せられた。また、正祖大王と磻溪の同僚や後輩の学者が彼を記憶して書いた記録も含まれた。磻溪が書いた詩「2人の友を考えて」では、「発憤して故人を追って根本を厚くし、付和を払いのけることに努める」のように実践的な学者の姿に出会うことができる。

2018年、磻溪に注目する理由は何か。林氏は、「磻溪は明・清交代という混乱期を体験して積極的な通貨政策、土地改革など抜本的な変化を主張した人物」とし、「安保問題や積弊清算など激変期にある現在の韓国社会に示唆するところが大きい」と明らかにした。



柳原模 onemore@donga.com