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22年間、中国の統治理念を設計した「三朝帝師」、王滬寧氏 

22年間、中国の統治理念を設計した「三朝帝師」、王滬寧氏 

Posted October. 31, 2017 09:56,   

Updated October. 31, 2017 11:13

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「内省的な性格で、なかなか自分を表わさなかった理論家が、中国政治の中央舞台に立った」

王滬寧・中央書記処書記(62)の中国共産党政治局常務委員への入城は、この一言で評価できる。王氏は、習近平国家主席だけでなく江沢民元主席、胡錦濤前主席まで3人の中国最高指導者に22年間にわたって統治理念を提供してきたが、他の常務委員に比べてあまり大衆に知られていない。

王氏は地方の省長や党書記などを経た他の常務委員とは違って、上海復旦大学で国際政治学と法学の学位を取得した学者出身だ。王氏の抜擢は、政治的安定と社会統制に向けて習氏がイデオロギー宣伝をどれだけ重視しているかを示す。

王氏は、共産党の党規約に含まれた江沢民の3つの代表論、胡錦濤の科学発展観の草案の作成に主要な役割を果たした。今回、党規約に含まれた「習近平思想」も王氏が設計した。このため王氏は、三王朝の皇帝を皆教えた師匠という意の「三朝帝師」というニックネームがある。

王氏は、習氏1期目(2012~2017年)の5年間、習氏の首脳会談や国内外の主な日程にもれなく参加した。首脳会談の時には、習氏の左には今回序列3位で常務委員入りした栗戦書・党中央弁公庁主任が、右には王氏が同席した。習氏にとって2人がどれだけ重要かを示す。

1994年までは、王氏は政治に入門する考えはなかったようだ。その年に出した本『政治的人生』で王氏は、「人生の目的は本を書き、学生を教えること」と書いた。出版社の幹部としても働き、復旦大学で講師、教授、国際政治学科長、法学部長に昇進した王氏は、江沢民時代の1995年、党中央政策研究室政治グループ長に抜擢される。江氏はすでに1980年代に王氏に注目し、この時から王氏は江沢民系「上海幇」となった。江氏は、1989年の民主化デモである天安門事件の強制鎮圧を王氏が支持したことで、王氏を起用することを決心したという。

1988年に発表した7頁の論文で王氏は、「中央に集中するリーダーシップ・モデルが安定性と急速な成長を維持できるという点で、民主的で分権化された西欧モデルより優れている」と主張した。王氏は、「強力なリーダーシップがあってこそ、思想間の葛藤を予防し、予想できない緊急事態に速かに対応することができる。現代化の過程で発生する不安と分裂を予防する強力な措置も可能だ」と強調した。王氏は、権力集中を擁護した国家権威主義の擁護者という点で、絶対権力を追求する習氏に必要なイデオローグだ。

論文で王氏は、「急速な経済発展の現代化の過程で葛藤と民主主義に対する要求が大きくなり、社会がこの段階に達すると、政治的改革を避けることはできない」と診断した。習氏が18日、党大会の政治活動報告で、「人民の幸せな生活に対する熱望と不平等・不十分な社会発展の問題の間に発生した新たな矛盾」を提起し、これを解決すると明らかにしたことも、王氏の理論基礎から出たものと見うけられる。

2015年に北朝鮮を訪れ、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に会った劉雲山・前常務委員の後任であり、国際政治学専門家であるため、王氏も金委員長に会うなど中国の対外政策で重要な役割を果たすという観測も流れている。王氏はフランス語も流暢だという。



尹完準 zeitung@donga.com