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「頂上を10m先にして涙がこみ上げた」 呉銀善氏、最高峰制覇の瞬間を語る

「頂上を10m先にして涙がこみ上げた」 呉銀善氏、最高峰制覇の瞬間を語る

Posted May. 03, 2010 05:39,   

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——14座の完登目標を達成することになれば、むなしさが押し寄せてきそうだと語ったが。

「むなしさを感じる暇すらない。死亡したトローというスペイン人の山岳隊員のことで胸が一杯だ。彼が少しでも早くきびすを返していたなら…。当時、手助けすることができず、すまない気持ちだし、残念な気持ちも大きかった。トローが、遭難中に衛星電話で妻と電話をしたという話を聞いた。そのような話を聞きながら、生と死とは何か、頂上とは何か、なぜ人々は7000、8000メートルのところにあれば、登ることにだけ拘るのか、自分にはそのような姿はないのか、考えてみることになった。ヒマラヤには本当に、生と死が同じ道にあるような気がする」

——泣く姿をよく目にしている。元々涙もろいのか。

「普段はあまり泣かないが、だからといって冷たい人でもない。登山に関する話を交わしていたら、その瞬間に打ち込むことになり、辛かった瞬間が思い出され、涙が出るようだ。涙をコントロールできる人なら、本当にすばらしいと思うが、私はそうではない。私が泣けば、辛かった状況に同感を示す人がいる一方、『また泣くのか』とつめたい目で見る人もいる」

——番号泣したのはいつのときか。

「1995年か1996年の出来事のような気がする。当時、付き合っていた年下の彼が、浮気するのを目にした。私のほうから何度も誘ったが、何時も避けられているような気がした。変だと思って訪ねていったら、ほかの女の子と手をつなぎで出てくるところをばったりと出くわした。本当に泣きじゃくった。初めて異性を感じた人であり、初恋だった。その時は、彼を自分の分身かのように思ったので、涙も多かったような気がする」

——嬉しさの涙を一番流した時は?

「今回のアンナプルナ頂上に立った時だ。頂上を10メートルほど残した時、胸の中から火の固まりが込みあげてきた。太極旗(テグッキ=韓国国旗)を差し込む直前に涙が溢れた。7大陸の最高峰登頂を終えたときも、(06年12月にオセアニア州の最高峰であるカルステンツ=4884メートル)涙が出たが、今回の方が、涙の濃度は一際濃かったような気がする」

——山登りをしながら、最も辛かった時は?

「辛さの度合いというのは、状況によって違うため、大変辛かった瞬間も過ぎ去れば忘れてしまう。辛いことをよく忘れる性格でもある。これまで、山に登るときだけでなく、人生を生きながら死にたくなるほどの試練はなかった。自分で考えても、意志は強そうな気がする」

——自ら限界を感じる時はあるのか。

「高山への登山に向けルート作業をする時、難しい区間で、シェルパらが先立っていく姿を見れば、うらやましくもあり、自分がそうすべきではないかという気もする。ある人たちは、『呉銀善(オ・ウンソン)は、過度にシェルパに頼りすぎる』と主張するが、私は自分のできる限界の中で、正直に山登りをしていると思う。それはシェルパらも認める部分であり、国際的に認められる理由でもある」

「スペインのエドゥルネ・パサバンが、アンナプルナへの登頂を終えて下山した後、呉銀善のカンチェンジュンガへの登頂を巡る疑惑を持ち出している。裏切られたとは思わないか」

「裏切りとまではいわない。アンナプルナの頂上から降りてきて(4月29日)、パサバンの発言を初めて耳にした時は戸惑うばかりだった。そんなことをする人とは思わなかった。06年10月、シシャパンマ(8027メートル)で初めて会った以後、パサバンについて否定的な感じを受けたことはない。実際、今回のベースキャンプでも、競争のため、ぎごちなくなりがちな状況だったが、余りにも愉快でやさしく接してくれた。純粋な情熱を持っている人だと思ったのに…。人間なって、本当に分からないものだ」

——アンナプルナの頂上で真っ先に浮かんだ「お母さんとお父さん」とはどのような方なのか。

「山の中で辛い時は、両親のことが一番先に思い出される。特に母とは、登山を巡りトラブルもあったので、余計に思い出される。両親は週末にもなると、何時も二人で行楽を楽しんだ。山登りやゴルフなどもいつも一緒に楽しんでいる。私も結婚すれば、あのような暮らし方をしたいと思った」

——新しい家族(夫)を迎える計画は…。「山のような人」といわず、具体的な理想のタイプとは…。

「付き合う人がいないのに、どうして計画を立てることができるのか。これまで『絶対に結婚しない』と考えてことは一度もない。30代前半は結婚への願いも強かったが…。私も当然、ウェディングドレスを着る姿を想像することがある。理想のタイプは、自分の仕事に信念を持って、打ち込む人だ。やさしい性格の持ち主で、外観はカン・ドンウォン(韓国人男優)のようにほっそりしたスタイルがよい。年は自分より年上のほうがよい。7、8年前までは恋をしたが、主に年下と付き合った。年下の彼らは私から保護を受けたがっていたようだ。40代を過ぎてからは、誰かと付き合うチャンスがなかった。皆から、『そろそろいい人と付き合わなきゃ』といわれているが、いざ、紹介してくれる人はいない」

——「呉銀善は何時も開かれている」とPRでもしようか。

「そうしてほしい…」

——なぜ国民に感謝するのか。

「私が山登りで食べさせてもらうことのできる根本的な理由は、わが国民の多くが山登りを楽しんでいるからだ。登山関連産業が多く成長し、山岳隊員らを後援する企業が多くできた。私は、ジュアン・ガルシア(4月にアンナプルナの頂上に登って、19番目の14座の完登者になった人、ポルトガル)より、登山実力は優れていないが、より優遇されている。山が好きな国民からのエールがなかったら、ここまで来られなかっただろう。それで国民に対しては大変感謝している」

——呉銀善にとって大韓民国とは…。

「母の懐。私は韓国人ということに、強いプライドを持っている。元軍人の父から影響を受け、自然に出来上がったものかもしれない。今回、天安(チョンアン)艦事故の将兵たちのニュースを耳にし、自分の家族のことのような気がして、自分が海の中で窒息するような気がした」

——大韓民国のスタートしての生活に変化があるだろうか。

「プライバシーはずいぶんなくなるだろう。多くに人から気づいてもらい、認めてもらい。しかし、自分が人を見る目が変わるのかと思うと、怖くもなる。自分も知らずうちに、『私の存在感に見合う人でなければ』と考えることになるのではないか気になるし…。『本当の自分の配偶者と出会うことができるだろうか』という気もする。頭が複雑だ』」

——新たな呉銀善の姿は…。

「自分のため国民が希望を抱き、前向きな力を得ることができたなら、その方々に対し、引き続きエネルギーを提供できる役割を果たしたい。ヒマラヤを抱いているネパール、パキスタンの貧しい人々らに対し、援助できる活動も計画している。今後の活動は、必ずしも山に限れず、幅広くやって生きたいと思う」

呉銀善は、人々から言われている最大の誤解とは何かを尋ねられると、「呉銀善は強い」ことだという。氏は、「私は強くない。ただ、好きなことには誰よりも、情熱的な人間だ」と語った。



hanwshin@donga.com